大石さんに聞いてみよし!『花札はなぜ赤と黒があるの?』
みなさんこんにちは。
広報のFです。
宜しくお願い致します。
お盆も過ぎて、無茶苦茶暑い日は少なくなってまいりました。
もう赤とんぼを見かけたり、彼岸花が咲きだす頃ですよね。
京都は三方を山で囲まれているせいか強風があまり吹かず、台風などの影響も少ない反面、熱い空気や湿気が停滞しやす為、ムシムシジメジメといった不快指数の高い状況になります。
いい加減、はやく涼しい季節にならないかと暑がりな筆者は思うばかりです。
さてさて、意外と反応のあるこのシリーズ!
今回は、花札の【赤】と【黒】についてです。
そもそも花札には、絵の描いている紙の裏から、赤い(メーカーや時代によって少し違う)紙を貼り付けた物と、黒い紙を貼り付けた物があります。
これは、遊びながら次の札をすぐに交換してスタートできるようにしているのと、二チームに分かれて遊ぶ際、となり同志の札が混ざらないようにする為。
それからこれは筆者の想像ですが、いかさま防止の為の気がします。
例えば、同じ黒裏の花札が二組あれば、【ふきかえ】や【蹴込み】といったいかさまに使われる可能性がある為かなとも思いました。
※具体的ないかさまの方法は、防犯上の為 割愛します。
また、赤や黒以外に青裏や緑裏は無かったのかという事です。
これは、紙の歴史になるかと思います。
元々花札の普及していた時代には、紙に色は付いていませんでした。
じゃあ 黒い紙や赤い紙は、どうやって作っていたかといいますと、白い紙に刷毛で色を塗って乾かしていたんですね。
花札屋さんの中には、この紙に色を塗る職人が居ました。
『塗師(ぬりし)』というそうです。
筆者も実際に見たわけではありませんが、聞く処によると、木の枠に白い紙の四方四隅全て隙間なく固定し、ストローのようなもので息をプーッと吹き込みます。
すると紙がパンと張った状態に。
その膨らんだ瞬間に刷毛でサササササササ―ッと色をムラなく塗るわけです。
この(ムラなく)というのが難しい。
また、昔の紙の固定なんてあまいもので、すぐ膨らんだあと萎みます。
紙の張り方が均一じゃないと、それだけシワや色ムラの原因になります。
それに、紙は水分を含むと膨張します。
当然、塗り込みの多いところは、水分も多くなり、少ないところと張り方も変わります。
スマホに保護フィルムを張る際、空気が入らないよう注意しながら張る位難しい(例えが分りにくい…)
この色ムラが札のサイズに切って貼った場合、少しの色の差になって、裏から見た際の目印になってしまいます。
つまり、メーカー事の職人のやり方や熟練度、その日の気候による紙の状態など、色のついた紙一つとっても簡単に買ってきて切れば良いという訳にいかない貴重な物だったのです。
赤い紙と黒い紙
この二種だけで職人も需要も一杯々々だったのではないでしょうか。
さらには、昔の赤色とは朱丹(しゅたん)と呼ばれる鉱物から作る【真朱(しんしゅ)】という色で、【辰砂(しんしゃ)】と呼ばれる最上の朱色は有名です。
しかし、この朱丹は高価な為、朱丹に硫黄と水銀を混ぜ焼き固めた色【銀朱(ぎんしゅ)】が、朱色として一般的でした。
これは朱より少し黄みがかった色で、洋名は(バーミリオン)とも呼びます。
なので花札の赤は、朱色より少し黄みがかった茶色いような、血の色のような赤茶けた色をしています。
(今は、洋紙も和紙も色の付いた物がある為、メーカーによって様々です)
それから、販売している印象なのですが、赤は関東方面に人気で、黒は関西よりに人気の気がします。
これは、関東が武士社会、関西が公家社会の歴史も影響しているのではないでしょうか。
奥州を含む坂東(関八州を含む東日本)では、武家の権勢が強く、この朱色という色は、赤備え・皆朱の槍など、武家の象徴であり特別な色でした。
それに代わり、関西(京の都を含む)は、帝や朝廷、公家・僧侶などの影響が強く、また黒を好んだ天下の大茶人・千利休の影響があったやもしれません。
黒にこだわった利休は、『赤は雑なる心』と嫌い、『赤とは生者の色、誰しもいつかわ死ぬ』という人生観から再生や生命の象徴の赤色に対抗した黒色を好みました。
(秀吉の金色好きにも辟易していたようですが)
その影響から関西で黒は、あの大茶人・千利休の認める色だからと、黒色好きが増えたのかもしれません。
しかし現代では、赤裏だろうが黒裏だろうが、好きな方で遊べば良いのです。
昔みたいに赤黒両方セットで購入すればいいんじゃないでしょうか?