大石さんに聞いてみよし!『花札の絵柄って決まってるの?』
みなさんこんにちは。
広報の藤澤です。
宜しくお願い致します。
桜もほぼほぼ散って、いよいよ新緑の季節。
花粉はほとんど感じられず、風は冷たいが日差しは陽気な、なんともな気持ちの良い季節の京都です。
気分が開放的になり、コロナ禍にも関わらず、人の集まる場所に行きたくなりがちですが、いくら陽気とはいえ、もう少しの辛抱です。
みんなで乗り越えていきましょう。
さてさて『花札の絵柄は決まっているの?』という今回のテーマ。
花札って、鹿の向いてる方向とか、桜の葉っぱの枚数とか、メーカーによってだいたい同じですよね。
でも、細かな決め事がるのですか?
答えは、
【花札の絵柄は決まっているが、今の絵柄になるまでに色々なバリエーションがあった】
です。
これは、花札の歴史や、時代背景などが関係しています。
花札は、戦国時代に日本に流入したポルトガルのドラゴンカードがルーツといのは、別の回でお話しましたが、その後色んな政治的な経緯から、絵柄が幾度も変わりました。
地方ごと絵柄違ったり、花札を作るメーカーごとでも違いましたし、今の世のように簡単にコピー機やスマホで写すのも不可能でしたから、原本を模写する際に細かな部分を省略したり、付け足したりもした事でしょう。
「この鹿の描いてる絵は、葉が多いから描くの大変やなァ」「ちょっと枚数へらして、ここの枝の部分は簡単しても何となくわかれば問題ないっしょ!」ってしたかもしれません(多分ですよ多分)。
地方札の一つに越後小花という新潟県の方の花札があるのですが、柳に小野道風の絵が少し違います。
小野道風の代わりに狸が描かれています。
ただ、このタヌキは、小野道風の絵のアレンジではなく、明治以前に使われていた歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」に登場する盗賊・斧定九郎の絵のアレンジだと思います。
これは、遊び方も含め謎のままです。
ですから、今の世間一般に知られる絵柄以外にも、色々な花札が誕生し、淘汰されてきた歴史があるんですね。
例えば、オリジナル花札を作り、それが人気なれば、何百年後の花札のスタンダードになっているかもしれませんね。
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