原画から製造!オリジナルかるたの出来るまで Part1
皆さんごきげんよう。
広報の藤澤です。
よろしくお願い致します。
本日、納品したオリジナルかるた『北白川郷土史かるた』
これは、京都市左京区の東部 北白川在住の方からのご依頼で製造した、オリジナルかるたです。
北白川には、銀閣寺やうさぎで有名な岡崎神社、哲学の道も年中人気のスポットです。
また、付近に大学が多くその関係で、ラーメンの激戦区でもあります。
今回、「今までかるたの印刷やかるた製作などした事のない、でもかるたを作りたい」そんな方々の為に、かるた作りの工程を、ご依頼者の了承の元、振り返ってみることにしました。
本件のご依頼者は、パソコンなどは日常で使用されていますが、フォトショップやイラストレーターなど、イラスト加工などに不可欠な画像編集ソフトは勿論、ペイントなども使わずのご依頼でした。
まず最初に、A4サイズの家庭用印刷機でプリントアウトされた原稿用紙を出され。
依頼者『これが原稿なんやけど。これからかるたを作って欲しい』と水彩画の様なイラストをコピーした用紙を渡されました。
筆者『原稿の元になるデータが欲しいのですが』
依頼者『この原稿しかないので、これをスキャンして原稿にしてくれればいいよ』
筆者『…』
このような感じで、スタートしました。
画像のスキャニングからデータ作成する事は可能なのですが、色味や細かな部分の解像度が良くないので、元データを頂くのがベターなのですが、無いモノは無い!
絵札一枚一枚は、タテヨコのサイズも違うし、枠の太さや右上の〇の部分もそれぞれ大きさが違う。
なかには、札の枠よりはみ出した〇も…。
筆者(これは大変だぞ…)
これが最初の正直な感想でした。
筆者『文字札の原稿は?』
依頼者『それはワードデータがあるよ』
筆者((ワードデータ (@目□目@;) !?))
恐る恐る拝見すると…
い 石工の名人 田中宇兵衛 良質の花崗岩を産出し、石切り場と村が近いので多くの名人、上手が生まれた。京都市内の石屋の七割が白川村出身者と伝える。かるたは泉涌寺月輪陵の菊花手水鉢(名人、田中宇兵衛の傑作)
ろ ろうそく灯す 愛宕講 北白川天神宮前の灯篭に、下池田町東部(旧宮本町)の人たちによって、火袋に今も火が灯される。昔は上町・宮本・中町・薬師町・分木町・下町ごとに灯篭に灯されていて、毎月六町の代表二名が愛宕神社にお参りしていたと伝える。
は 春はひねもす 情延山 一乗寺芸大の裏山・東山を情延山。江戸時代に茶屋四郎次郎が徳川家康から譲り受けた後、茶山と呼ぶ。旧主、信長、森蘭丸、豊臣秀吉、徳川氏、茶屋氏、杉本氏、山岡氏、川西氏。『北白川こども風土紀』
こ、これは…。
依頼者『この太字のところを字札にして…それから…』
筆者『…』
依頼者『…』
筆者『りょ、了解しました。お、お任せ下さい。』
こうして、『北白川郷土史かるた』の製造が始まりました。
つづく。
シリーズ
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