京都パワースポットと百人一首!(北野天満宮)パート4
皆さんこんにちは。
広報のFです。
よろしくお願い致します。
これまで長々と書いてきましたが、百人一首にちなむ話が一切出てきていないのが、あきれるばかりです。
『百人一首情報』より、『パワースポット』情報に特化してきた気がするかもしれませんが、そこは大人の事情や、百人一首というテーマの難しさかとお察し下さい。
さてさて、今回の歌人さん:菅原道真公は、百人一首の中で書かれている名前は、菅家(かんけ)。
詠まれている和歌は、二十四番『このたびは 幣(ぬさ)もとりあへず手向山(たむけやま) 紅葉(もみじ)の錦(にしき) 神のまにまに』
今回の旅は突然の事で、お供えの幣も持ち合わせておりません。とりあえずは、この手向山の錦織の様に見事な紅葉を幣として、神の御心のままにお受取り下さい。
*手向山…山の紅葉を神へ手向けますという意味。固有名詞ではない。
この和歌は、菅原道真が宇陀院の奈良県宮滝行幸の際、詠まれたものです。
そもそも、菅原道真が、何故『学問の神様』と言われるようになったのか。
漢詩に精通し、和歌を5歳で詠んだとされる天才少年道真君。
18歳で文章生になり、23歳の頃には文章得業生を経て、26歳の若さで方略式に合格するという快挙。
33歳式部少輔&文章博士、学者として最高の栄達に至りました。
ところが順調に出世街道まっしぐらだった道真さんが43歳の時 【阿衡事件】が起きました。
宇陀天皇が、藤原基経を関白に任ずるにあたり、詔勅を出したのですが、文章博士である藤原佐世が『「阿衡は位貴くも、職掌なし(あなたは、地位は高いが職務を持たない 、実際 権限の無い形ばかりの官位を天皇に賜ったんですか(笑)』っと告げたから基経激怒!
ホント、いらんことを~。
政務を放棄しボイコットし始めたので、国政が渋滞する事態に。
宇陀天皇も困り果て、機嫌を直すよう、とりなしたりしたのですが、基経の怒りは治まらない。
(しかし、時の天皇がとりなしてもへそを曲げて折れないって、どんだけ藤原氏増長してんねんって話です。
それだけ、藤原氏の権力が大きかったって事ですね。)
そこに我らが菅原道真様 登場!
『これ以上の紛争は、藤原氏の為にならないですよ! ハイ終了~!!!』 と仲裁し見事治めたそうな。
そんな見事な手腕もあり、55歳で右大臣の位、そして宿敵:左大臣・藤原時平と並び従二位に登りつめます。
しかぁ~し、面白くないのが藤原時平をはじめとする藤原氏。
学者の世界で幅を利かせていただけなら大目にも見れたでしょうが、天皇の信任篤いのをいいことに中流貴族にはあり得ない高位の従二位に叙せらせ、藤原氏との軋轢が激化するようになりました。
『中流貴族ふぜいが大貴族である藤原氏を差し置いて、出世するなどけしからん!!!』と、卑劣な姦計で道真を陥れました。
現実の社会でもそうですが、競争相手に勝つ為に、己が努力で正々堂々と勝負する人もいれば、陰で相手の悪評を流したり、相手が失敗するように姑息な手段を用いる根性の捻じ曲がったクズは、いるもんですね。
だいたいにおいてそういった輩は、誰にも判らないようコソコソと奸智を巡らす一方で、目上の権力者には媚びへつらい、いい子ぶるもんですが【天知る地知る】で、いつかは天罰が下るもんです。
誰も見ていなくても、【自分】という目が一番身近でみていますから、自分を正当化するために『息を吐くように、嘘をつくようになる』
結果、藤原時平をはじめ、道真を陥れた人々が、死後怨霊と化した道真によって、ことごとく不幸な目にあったそうです。
ちょっと長くなってしまいましたので、今日はこの辺で。
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