京都パワースポットと百人一首!【北野天満宮編】(パート2)
皆様こんにちは。
広報のFです。
よろしくお願い致します。
今年の祇園祭も終わりましたね~。
やっぱり暑かったです。
でもまだ京都は、八月の夏休みなどを利用して、観光に来られる方が多くなるシーズンでもあります。
京都の夏のイベントは、祇園祭だけではありませんよ。
【鳥辺野・六道珍皇寺の六道まいり】
【愛宕神社の愛宕千日詣り】
【高台寺の夜間特別拝観】
【下鴨神社の夏祓神事】
【五山の送り火】
などなど
イベント事が目白押しです。
着物(浴衣)姿で訪れると、割引されるお店などもありますし、この時期の京都は緑豊で、川の清涼も気持ちの良い絶品スポットです。
路地には打ち水がしていて涼しい工夫もされていますし、建物の陰が出来て日よけにもなります。
貴船や鴨川の床は信じられないほど涼しいですし、京都市内の移動は、バス、電車、タクシーなど交通網も豊富で徒歩での移動が最小限です。
是非、夏に強い京都に、お越しくださいませ。
さてさて、前回に引き続き、学問の神様:菅原道真公を祀る、北野天満宮のお話です。
北野さんに参詣して一の鳥居をくぐった右側に駐車場がありますが、この駐車場の一番鳥居に近い処に、一番目のスポット『影向松』(ようごうのまつ)があります。
この松は、北野天満宮創建時(道真公が祀られたのが天歴元年・西暦947年)には、すでにあったと言われるほどの樹齢。
当然御神木!!!
古くから【立春までに初雪が降ると天神様が降臨し、初雪の詩を詠む】という言い伝えがあるそうで、『天神さんの七不思議』の一つとされています。
さらに駐車場を北上しますと『右近の馬場』という駐車場と一体となった場所があります。
昔、非業の内に亡くなった道真の祟りで震え上がる京都に、多治比文子(たじひのあやこ)と言う女性がおりました。
ある日、道真の霊が文子さんに乗り移り『北野の右近の馬場に社殿を建て我を祀れ!』
という神託をしたそうです。
右近衛大将(うこんえのだいしょう・右大将ともいう)であった道真公がこよなく愛したお気に入りの馬場の為、右近の馬場と言われるようになったそうです。
因みに、右近衛大将の位は、従三位で貴族社会での最高の家格(天皇家外戚や摂関家、藤原性を下賜された家柄)でした。
駐車場を右手に見ながら参道を進み、楼門の手前右手の方に、『さざれ石』というゴツゴツした岩があります。
君が代の歌詞にも歌われるさざれ石は、元々小さな石が年月が経つうちに、石灰などにより固まり、ひとつの岩となったものです。
さらに、その表面に苔などが付き風情を醸し出す事から、長い年月を掛けないと形成されない事がらや、歳月の長さの比喩に用いられているそうです。
この右近の馬場の傍に、大茶会跡地の石碑が立っています。
豊臣秀吉が、盛大に行った『北野大茶会(きたのだいさのえ)』は、それまで貴族や武士、豪商など一部の階級の人のみの茶の湯を、だれもが茶の湯を嗜める物にしたきっかけになりました。
しかし、千宗易(利休)の考えとは合わず、溝が出来ていきました。
その茶会で、使われた水をくみ上げたとされる井戸が『太閤井戸』でした。
一日だけの大茶会でしたが、天下人と一緒にお茶を楽しめる盛大なイベントなんて、京都の人々も度胆を抜かれたのではないでしょうか。
楼門をくぐり、右手に手水場があります。
きちんと、清めて参拝しないと、ご利益に影響するかもしれませんよ~。
楼門入って左手の方に、少し大きめの休憩所があり、自動販売機などで飲み物も購入出来ます。
その奥に、ひっそりたたずむ御神木がありました。
【大杉社】
当宮随一の御神木である。
室町時代に作成された『社頭古絵図』には、すでに樹齢数百年らしき二又の杉の巨木が描かれており、これより推定しても一千年以上の時を経たものとと思われる。
神仏習合時代の室町期には、『聖歓喜天』の宿る所願成就の神木として一層の信仰を集めた。
のち落雷によって惜しくも二又はくじけ、根幹を残すのみとなったが、その威容は多くの崇敬者によって守り継がれ、いささかも衰えことはない。
(立札より抜粋)
つまり、この天神さん境内御神木群の大長老!
この樹かっ!! パワースポットッ!!!!
次に天神さんの七不思議の一つ『筋違いの本殿(すじちがいのほんでん)』
これは、北野天満宮は、元々菅原道真公を祀る前は、【地主神社】が祀られていて、後に道真公を祀る社殿を立てたそうです。
ですので、楼門から正面は、最初からいた神様。
後からきた神様は遠慮して少し横にずれなさいといった感じの理由から天神の社殿への通り道が、曲がっているようです。
まず、本家に挨拶しに行ってから、分家に挨拶するのなら、地主神社にお参りしてから、北野さん本殿にお参りが正統なんでしょうか?
北野天満宮の奥に鎮座する地主神社(じぬしじんじゃ)の御社です。
横の立札には、こう書かれていました。
祭神 天神地祇(てんじんちぎ)
(相殿) 敦実親王(あつみしんのう)・斎世親王(ときよしんのう)・源英明朝臣(みなもとのひであきらあそん)
神徳 招福・交通安全・諸願成就
例祭日 四月十六日
当宮は、『続日本後記』に『』承和三年(836年 管公ご生誕の九年前)二月一日、遣唐使のために天神地祇を北野に祭る』と記録されている通り、天満宮創建以前よりこの鎮座していた神社である。
主祭神の天神地祇とは、日本国内六十余国に祭られたすべての神々のことであり、ともに祭られる三人の皇子はいずれも道真公のご血縁など、特に公とゆかりの深い方々である。
現社殿は豊臣秀頼公の造営になり、由緒・規模とも天満宮第一の摂社である。
と書かれています。
北野天満宮にお越しの際は、忘れずお参り下さい。
さて次回は、本来京都の町の乾の方角を守護する天神さんのさらに乾(北西)の方角に祀られている、パワースポットのお話です。
お楽しみに。
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