京都パワースポットと百人一首!【貴船神社編】(パート2)
皆さんこんにちは。広報の藤澤です。
京都のパワースポットと百人一首ゆかりの地 シリーズ第三弾 (貴船神社編)のパート2です。
(全部でパート3まであります)
今回の【百人一首のあの人】は、和泉式部(いずみしきぶ)さんです。
苗字が和泉、名が式部ではありません。
貴船神社で願掛けをし、離れてしまった夫の心を見事とりもどしたエピソードを残しておられます。
その時の和歌 『物おもへば 沢の蛍も我が身より あくがれいづる 魂かとぞみる』
もの思いをしていると、川の上を飛ぶ蛍が、まるで我が身から抜け出た魂のように見えるわ…という意味です。
すると貴船の社殿の中から、返歌が聞こえてきました。
『おく山に たぎりて落つる瀧つ瀬の 玉ちるばかり 物なおもいそ』
奥山の滝の水が飛び散るほどに、深く思いつめたりしなさるな…という意味です。
しばらくして願いが成就し、元通りの夫婦円満になったようです。
この和歌を詠んだとされる場所に 『思ひ川』 と書かれた橋が架かっています。
その和泉式部の百人一首の和歌がこちら
『あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな 和泉式部(56番) 『後拾遺集』恋・763』
もうすぐ私は死にます。だからあの世へ持っていく思い出に、もう一度だけ会って、 愛して欲しい…という末期の女心と愛する男性に対する想いを詠んだ詩です。
和泉式部さんは、恋多き女性で有名だったようで、紫式部からは 『こちらが恥じ入るほどの歌人では無いが、その作風の中に優美さと 風情があり何気に書いた手紙にも、必ず面白い一節が含まれる才能の持ち主だ。 しかし男にだらしないところもある』と言われています(紫式部日記より)
当時の女性にしては、かなり大胆でストレートな性格だったようですね。
そして、パワースポット【貴船神社】(大地の気が生まれる根源の地)という意味から 【気生根】、神話の伝説から【黄船】、他にも【木舟】【貴布禰】等、 様々な名で呼ばれていた神聖かつ厳かな地です。
今の【貴船】に定められたのは、 明治4年6月 旧社格「官幣中社」に定められて以降だそうです。
そして霊験あらたかな貴船神社の、さらに気の根源が、 パワースポット【奥宮】だそうです。
元々、貴船神社の本宮が建っていた所で、 名前の由来の黄船(きぶね)に乗って姫(おそらく玉依姫命の事)この地に たどり着いた場所だとか。
伝説によると、奥宮の本殿の真下には、『龍穴』があるそうで、 あたりに気が吹き出し充満しているとの事。
御祭神は、高龗神(たかおかみのかみ 高は山の頂、龗は龍の元の漢字) 闇龗神(くらおかみのかみ)と同一神と見られ、総称して龗神(おかみのかみ) と言う説もある。
水徳神、龍神のことであるが、『古事記』では伊邪那岐命が 妻伊邪那美命を焼殺した火の神:迦具土神(かぐつちのかみ)を斬ったとき、 その御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血から 闇於加美神(くらをかみのかみ)・闇御津羽神(くらみつはのかみ)が化成したと しるされています。
解かりやすく説明すると、生み落としたカグツチ(火の神)のせいで、 イザナミは焼け死んでしまったので、夫イザナギがカグツチを成敗した時、 返り血が刀に付き、刃からしたたり伝った血が、指の所で二滴に分かれた。
その滴の一方がクラオカミノカミ(タカオカミ)になったらしい。 つまり、神様の血が神様になったという事です(ざっくりとした説明ですみません)。
奥宮の立札には『社伝によれば「反正天皇の時代(五世紀初頭)に、 玉依姫命(神武天皇の母)が黄船に乗って浪速(大阪)から淀川、鴨川、 貴船川をさかのぼって当地に上陸し、そこに祠を営んで水神を祀ったのが当宮の 起こりである」とのことで、地名及び社名の起源をこの「黄船」にもとめる説もある。
境内の本殿横には、この伝説にまつわる「舟形石」があり、 これを積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全に御利益があるとされた。
また、本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1861~1863)の 本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落したところ、 一天にわかにかき曇り、突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたという。
この他、宇治の橋姫伝説や和泉式部の悲願成就など、当社にまつわる逸話は数多い。』 と記されています。
何百年も前の事なのに、不思議な気配を今も実際に感じる気がするから不思議ですよね。
では、今日はこの辺で。
シリーズ過去ブログ