幻の百人一首 光琳かるた!
皆さんこんにちは。広報のFです。
またまた、よろしくお願い致します。
さてさて 京都の名所・旧跡は星の数ほどありますが、忘れてはいけないのが『妙見寺塔頭・泉妙院(興善院旧跡)』とういう場所。
ここは、当店自慢のかるた【光琳かるた】の生みの親 (尾形光琳)その弟(尾形乾山)が眠る菩提所です。
中に入る事は出来ませんが、すぐ近くに表千家の不審庵や、裏千家の今日庵があり、静かな街並みで都会の喧騒を忘れさせてくれます。
周りには、茶道に縁のあるお店、茶器や野点の番傘などのお店もあり、京都の風情を感じさせてくれます。
京都文化を語る際に欠かせないお茶や書画、生け花やお香は、日本の文化の象徴的存在でもあります。
そんな日本文化の中心と呼んで相応しいこの地に、菩提所がある尾形家とは、どのような家系だったのでしょうか。
以前に書いたブログで、1658年 京都の大呉服商『雁金屋』の次男に生まれた事はすでに書きました。
光琳の祖先は、室町幕府15代将軍、足利義秋(義昭)に使える上級武士【尾形伊春】だったという説もあります。
今年 放送中の大河ドラマ『軍師官兵衛』に登場するおもろい将軍(吹越満さんが演じています)が義昭公です。
その伊春の子供【尾形道柏】が染色業を始め、後の大呉服商『雁金屋』の礎を気づきました。妻に本阿弥光悦の姉を娶り、姻戚関係になった事で、さらに盛んに上流階級の顧客と商いをする事になりました。
道柏の子【尾形宗柏】の頃には、茶々(淀殿)、北政所寧々(高台院)、徳川家康、徳川秀忠、お江(秀忠正室)などと取引し、後水尾天皇中宮の御用向きまで商うようになりました。
宗柏の子【尾形宗謙】も雁金屋を商いながら、書画を嗜む風流人で父宗柏が上流階級の人々と親しくしていたのを目の当たりに成長し大商人になっていたのでしょう。
そしてそんな風流人・宗謙の次男として生まれたのが【尾形光琳】、三男【尾形乾山】でした。
つまり、代々上流階級に交わり、芸術や古典文学に親しみ、その一方では呉服商で大成功した家柄だったのです。
時代によって物価は変りますが、一時期 年間5千両(1両=5万~10万円換算として、2億5千万~5億円)以上の商いをしていた豪商でした。
来年は、そんな尾形光琳、そして本阿弥光悦も含めた琳派の方々の大切な年なのです。
尾形光琳が亡くなって来年2015年は300回忌。
そして本阿弥光悦が徳川家康から鷹峯の地を拝領した1615年から400年。
つまり来年2015年は【琳派の年】なのです。
更に、11月1日は【古典の日】(2012年9月5日法制化)でもあり、2014年~2016年の間は、かなり琳派ブームが巻き起こるでしょう。
各地の美術館、博物館でイベントが催され、古事にならった体験やツアー旅行も企画される事は確実です。
大石天狗堂が世界に誇る看板商品『尾形光琳の幻の百人一首 完全復刻版』などは、この時期に売らなくていつ売るのという位、ど真ん中直球商品です。
百人一首の字札は、文字通り字しかないのが普通ですが、光琳かるたは字札にも花鳥風月が描かれ、当然【たらし込み】の技法や、【光琳波】などが使われています。
しかも、百人一首ですから当然 読札(絵札)100枚、取札(字札)100枚あります。
つまり、日本が誇る巨匠の描いた絵画(200枚)を一度に堪能できる特別セットのような物です。
絵でだけではありません。
書も光琳直筆を復元していますから、草書体の読める方なら、一度はご覧になってみて下さい。
光琳独特の書体に、絵と同様に感動を覚える事間違いないでしょう。
尾形光琳の作品の複製品はこの世の中に沢山販売されている事でしょう。
例えば有名な『紅梅白梅図屏風』なども、実際屏風が売られているかもしれませんが、置くスペースの関係で『欲しいけど、そんなに大きなお屋敷じゃないしなあ…』とあきらめ、代わりに写真集や、ポスターなどを購入されるでしょう。
しかし、この当店製造する光琳かるたは、本物を元に大きさなども完全復刻していますので、その一点だけみてもお値打ち品です。
是非、お手に取ってお確かめ下さい。その素晴らしさ必見です!!!!