2013年05月31日 ニュースブログかるた全般

こんにちは、大石天狗堂の広報藤澤です。

 

さてさて、皆さん5月27日が『百人一首の日』なのをご存知でしょうか。

 

1235年(文歴2年)5月27日、京都嵯峨野小倉山の麓にあった山荘『時雨亭』にて、平安時代末期(西暦1000年頃)から鎌倉時代(もちろん1235年)までに詠まれた著名な和歌のうち、藤原定家(ふじわらのさだいえ)【*音読の(ていか)で有名】によって

、優れた和歌であると選ばれたのがこの日とされています。

 

では、この『定家』とはどういった人物だったのでしょうか。

 

家柄は、藤原四家の一つ藤原北家(ふじわらほっけ)御子左家(みこひだりけ)の出で、歌人として著名な藤原俊成(父)定家(子)が現れてからは歌道の家として確立し、長く歌壇に君臨しました。

余談ですが、定家の子、為家(ためいえ)は歌人としてだけでなく蹴鞠上手でも知られ、鞠道の飛鳥井流に並ぶ『御子左流』の元になったそうです。

 

最終官位は正二位(上から3番目)権中納言で別の呼び名は『黄門侍郎』または『黄門』でした。

あの天下の副将軍、水戸黄門こと徳川光圀と同じ官位だったのですね。

水戸光圀公は、隠居後権中納言になったが、最終官位は、没後 贈正一位(最高位)ですから、光圀公の方が出世(?)したと言えなくもない。

 

定家の性格ですが、強情で偏屈だったそうで、定家の残した書の筆跡からも伺えるそうです。

我が子の出世の為に激しく藤原実宣と争うなど、かなりの激情家だったようで、殿上で友人を燭台で殴りつけ謹慎処分をうけるなど、イメージと違いかなり過激な人だったそうです。

 

「ていか」とは本来の読み方「さだいえ」の有識読み(ゆうそくよみ)である。

*有識読み(ゆうそくよみ)=日本の歴史の中で、古来からの慣例・通例に従い、漢字で書かれた語を音読みの読み方で読むことを指します。

いわゆる一般的な通称を指し、江戸時代以前の、特定の歌人や文人に使われた呼び名が多いです。

故実読みと同じで、『安倍晴明(あべのせいめい)』や『二宮尊徳(にのみやそんとく)』などが例に上げられます。

百人一首の歌人:『天智天皇』も、現代人の読み方は(てんちてんのう)や(てんじてんのう)と読んだり書いたりしますが、故実読み・有職読みだと(てんぢてんのう)と書きます。

 

 

現在残る、定家の家系では『冷泉家』(れいぜいけ)が有名であり、御子左家の分家で冷泉流歌道を伝承する由緒ある家柄です。

現在の冷泉家当主は25代為人氏である。

実は、為人氏は婿養子で奥様である貴実子さんに見初められ、ご結婚されたそうです。

結婚当初は、貴族の家柄である冷泉家での生活に戸惑いや後悔の念を感じ、体調を崩されたりしたそうです。

しかし、為人氏49歳の時、頭首のみが入れる家中の神聖な場所『御文庫』にて、藤原俊成の歌論集『古来風躰抄』を見て雷に打たれたような衝撃を感じたそうです。

その書のあまりの美しさに、俊成公から『冷泉家と歌道文化、日本文化を頼むぞ!』と言われた気がしたそうで、『自分の仕事はこれだ!』と思われたそうで、(冷泉家の蔵番)(日本文化の蔵番)になろうと決意し、現在 芸術や教育の分野にも精力的に活躍されています。

 

 

これは為人氏だけでなく、すべての人に通じる職業感・人生感ではないでしょうか。

『己の役割』を知り『一所懸命』に生きる。

けっして望んで始めた事では無くても、自分の他にこの使命を果たす替わりがいない時、人は己の役割を知るのだと思います。

それが、結果が出る出ない、上手くいくいかないという事は、問題ではなく、真剣に向き合い取り組むかどうかが大切かと思います。

 

偉そうな事を言っていますが、そういう筆者も大石天狗堂で頑張るぞ~!

おぉ~‼ヽ(`Д´)/

#藤原定家

#御子左家

#冷泉為人氏

#己の役割

#日本文化の蔵番

 

 

 

ご注文・お問い合わせ 075-603-8688 商品見学に店舗へお越しください!外国の方も歓迎!
 

店舗営業日カレンダー

お問い合わせはこちら