京都の伏見は昔は「俯見」?
皆さんこんにちは。
広報の藤澤です。
宜しくお願い致します。
年も明け、すっかり正月気分も抜けて、通常運転の毎日です。
雪が降らず暖かいような、でもやっぱり寒いような
そんな京都伏見のお話です。
実は皆さん
昨年2020年は、日本書紀が完成してから、1300年目の年だった事を、ご存じでしたでしょうか。
日本書紀とは、神代の時代から41代天皇である持統天皇までを記述した歴史書の事です。
古事記とよく混同され、実際内容が類似する逸話もありますが、違う文献です。
その日本書記には、大石天狗堂のある、ここ京都伏見の地の事が記述されています。
そんなに古くからあるんですね。ビックリです。
しかし、日本書記に記述されていた地名は伏見ではありません。
【俯見(ふしみ)】
俯とは、うつぶせるとか、うつむくとか、顔を下に向ける動作や姿の事です。
見るは、当然何か見るとか回りを見るとか。
しかし現在使われているのは「伏見」という地名です。
なぜなんでしょう?
そもそも
伏(ふ)せると俯(うつむ)く
そして類似語に臥(ふ)せるというのもあります。
どう違うのか。
対義語から考えますと
伏せる⇔身を起こす。姿を表す(見えるようにする)(隠れていた状態から出る)
俯(うつむ)く⇔仰ぐ。天を仰ぐとか、天下人を仰ぎ見る。
臥せる⇔起きる(健康になり元気になり寝床から起きる)
つまり、同じような(ふ)という発音で、似たような意味でも、僅かなニュアンスの違いで、使う漢字が変わるんですね。
日本語って、ややこしい。
古代「うつむいて見る(ふしみ/俯見)」という地名だったと知って、筆者が想像するのは、高い場所から下を見下ろしている人の姿です。
地名になるくらいですから、一般庶民の誰かの行動を表したのではなく、もっと大きな存在
例えば『神』とか『王』とか『権力者』が行った所作が、その土地の地名になったんじゃないでしょうか。
古代の神のような権力者と言えば天皇や王族など。
今も伏見の地にある御陵さんのこんもりした小山(桃山丘陵/指月丘陵)は、古代も存在していたようですから、その高い丘から下を見下ろした姿、あるいは軍事や政治を指図する姿を、民が見上げてそう言い表したんじゃないかと想像しました。
民A『ふぉォォォォ、あそこにおわすは、みかど様でねえだかぁぁぁぁ!』
民B『こげさ所さ、おいでになって、何してるだか?』
民C『み、見れ~!こっちさ見て微笑んでおられるべ~‼』
民D『なんてこんご~しぃ~お姿だんべ~!』
民E『ありがたや~、はぁ~、ありがたや~』
【どこの訛りなんだよ~!】
古代の伏見の南には、巨椋池(おぐらいけ/現在は地名だけが残る)という巨大な池があり、大阪湾ともつながっていたと考えられていたそうです(京都市伏見区役所HP古代 伏見の成り立ちより)。
その後も、秀吉が伏見城の築城の際、宇治川の治水工事を行い巨椋池と宇治川を切り離すまで、近江(滋賀)-京(京都)-俯見(伏見)-難波(大阪)、平城京(奈良)と水運の要衝でした。
平時は物流メインですが、戦時ともなれば軍備や兵士の移動にも使われたことでしょう。
そんな古くから多くの歴史を見て来た「伏見」
今でも歴史の息吹を感じられる素敵な場所です。
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