歴史の舞台『伏見桃山』
新年 明けましておめでとうございます。
広報の藤澤です。
本年もどうぞ宜しくお願い致します。
コロナ禍で大変な2020年が過ぎ去り、まったくどうなるか見当もつかない状況で、日々健康と生活を両立させながら懸命に過ごすしかない2021年がやってきました。
ご自身やご家族の健康リスクもある中、必死で働いて下さる医療従事者や関係者の方々。
思うように仕事や勉強や趣味が出来ない方々。
海外から帰ってこられない、海外のご自宅に帰れない方々。
本当に世界中が『厳しい(関西だと”しんどい”)』状況が続いています。
大石天狗堂のニュースブログが、そんな方々の気分が、少しでもまぎれれば幸いです。
さて昨日見た、大河ドラマ【麒麟がくる】に登場する、足利将軍家に仕えた「三淵藤英(みつぶちふじひで)」の回の話です。
谷原章介さん演じる藤英が、信長の命で切腹するシーン。
戦国の世の習いとは言え、あまりにもせつない仕置きです。
良い人だったし、主人公明智光秀を、良い感じで助けてくれていたキャラだけに、残念な最期でした。
ただ、恥ずかしながら筆者は、この方をドラマを見るまでは、存じ挙げませんでした。
弟の「細川藤孝(ほそかわふじたか/幽斎ゆうさい)」は、知ってる方も多いと思います。
塚原卜伝に剣術(鹿島新當流/かしましんとうりゅう)を学び、弓術も印可を受けるほどの腕前。
流鏑馬が代表的な弓馬軍令故実(きゅうばぐんれいこじつ/弓馬故実とも)の習得。
他にも料理・蹴鞠・和歌・囲碁・連歌・猿楽にも精通してそうです。
さらには、三條西 実枝(さんじょうにし さねき)より古今伝授(こきんでんじゅ/古今伝受とも)を授けられたほどの文化人でした。
ドラゴンクエストに例えるなら、戦士・僧侶・魔法使いのスキルに、商人や踊り子や遊び人がプラスされ、それぞれレベルが100超えてると言えば分かりやすいでしょうか(分かるかーッ‼)
そんな凄い弟に、兄が武芸や文学で劣る筈が無い。
現にドラマ作中でも、弟 藤孝より優秀ぽかった兄 藤英。
弟と違い、足利将軍家に最後まで仕えた忠義心に加え、織田家に囲まれ籠城した二条城(現在堀川通に面した方ではなく、御所の西隣り平安女学院のあるあたり)を取り巻いた敵家家臣団最強武将:柴田勝家に、死なすには惜しいと二度にわたる説得ののち降伏したほどの武将の中の武将 三淵藤英。
戦国ファンなら必ずやったことのあるシミュレーションゲーム「信長の野望 創造PK」にも登場し、実父:三淵春員や次男:三淵光行と共にモブ武将として存在しています(評価はメッチャ低い)。
その藤英が足利幕府時代に任されたのが、京都伏見区にある『伏見城』。
場所は、御香宮とJR線の間に位置し、大型マンションが建っているあたりです。
※現在伏見桃山陵の上に見えるお城は、閉園した「伏見桃山城キャッスルランド(1964-2003)」のシンボルが今に残る。
※尚、耐震構造が規準に満たない可能性がある事から現在中に入れず、いずれ補強工事されるのかなど、現在の姿が見れるのは今だけです。
ここ伏見城近辺(指月丘陵)は、大阪から京、奈良から大阪、奈良から京と、人や物資が行き来する水運の要所の地でした。
弟の細川藤孝は、西国街道と久我畷(こがなわて)を結ぶ要衝の地にあり、京ー大阪を結ぶ陸路の要衝を押さえた事になります。
つまり足利幕府の南の衛は、藤英・藤孝兄弟に託されていた事になります。
そんな足利幕府に生涯忠誠を誓い、花のように活躍し、花のように散っていった武将に思いを馳せ、伏見の地を歩くのも感慨深い事でしょう。
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#義昭、お~え~(大阪弁で、ちょっと~とか頼むわ~)